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Where is your progress?

進捗どこでしょう

170227

チャレンジは惨めに失敗です。空白の数時間が生まれた。

身体の調子がよくない。

自転車の空気を入れたら移動最中のあの感じが少しだけましになったが。

 

今日はデータ入力を何が何でも終わらせて,明日に備えたい。

 

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データ入力をするはずがOkin(1989 = 2013)を読んでいた。

「政治的なことは個人的である」がゆえに公私二元論が問題である理由,オーキンは4つ挙げていたけど2つに整理できそう。

1. 国家は家庭に「関与」する。

2. 家庭は子供の初期の社会化の場であり,正義感覚の発達の点で家族内でも正義が重要となる。

 

あとは野崎(2003)を読み直さないとだな…。

 

オーキンのダメな点としては3つ。

第1に,「生物学上」の「両親」による子育てが子供の発達にとって重要であることを強調しすぎ。これはキムリッカ(1991)も邦書の訳者解説も指摘している。

 

第2に,女性と子どもの脆弱性の区別について。

オーキンはRobert E. Goodinの Protecting the Vulnerable (1985)における脆弱性概念を結婚にも援用し,Hirschmanの「退出」を絡ませつつ,社会的に作られた女性の脆弱性は許容できないと論じている。

この議論自体は非常におもしろいんだが,女性と対比して子供の脆弱性それ自体は自然なものとしているのは社会構築主義の立場からは同意できない。子供が守るべき存在であるっていうのは全然自然なことではない。

 

第3に,当時の家族の在り方は女性にも「子どもにも」正義に適うものになっていないとしているが,子どもにとって不正義な理由が女性が不利を被っていることの反射的効果のように読める。なんで母子を一体で扱うのか。

母親は被害者だが,子どもにとっての直接的加害者にもなりうる。

 

まあでもおもしろかった。

特に,脆弱性概念の家族への援用と,子どもが正義感覚を学ぶ場としての家庭っていう考え方はなるほどなあと思いました。

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